ZOYA HOLISTIC THERAPY のセラピスト源田永子です。げんだのりこと読みます。
いままでセラピストとして20年間働き、学びながら経験したことを元に、こころとからだのコラムを書いてみます。
初めての回では、わたしがセラピストになったきっかけのお話しを書くことにしました。
プロフィールにもあるように、私は20代のとき広告などの分野でスタイリストとして働いていました。
バブル後期の景気の中で、ご縁から22歳の時にお仕事をいただき、気がつけば10年続けていました。
忙しいときは2~3時間睡眠を1週間続け、そのストレスを美味しいレストランや、買い物、おしゃれをし、好きな車を運転したり、海外に行ったりすることで解消していました。
30歳の時、友達と一緒に遊びに行った下田でその頃流行っていたボディーボードを初めてやりました。
そのあともよく海に通うようになりました。
その頃は冬もやる程のハマり具合ではありませんでしたが、それでも海に入っているだけでとても幸せでした。今はロングボードに乗っています。
この「海に入る・海のそばにいる」が、わたしのこれからの生きる道に大きな影響を与えるなんて思いもせずに!
ある日のスタイリングの打ち合わせの時、私の中で違和感が生まれました。
今までは当たり前のように このテーマだったらこんなイメージで、などクリエイティブについて決めていた大切な打ち合わせです。
そして、この日を境に、わたしはお仕事に対して、それまでのような熱心を持てなくなっていました。
わたしのこころとからだは、海のある場所、自然な環境を求めはじめていたんだと思います。
それから間もなくして仕事で向かった先で、中国気功整体院学校というチラシが目に飛び込んできた瞬間、受けてもいないのに「あ!これに行こう!」と即決しました。
わたしは父が医師で、ほとんどの親戚が医者という家庭に生まれました。
猛烈な反発心から家を出て、クリエイトな世界に憧れ、そしてお仕事もいただけるようになっていたのに、結局はからだのことを生業にする方がじぶんにはしっくりきたんです。
紆余曲折あったにせよ、わたしの場合は、じぶんのルーツの中に本来のじぶんがいたわけです。
子供のじぶん。若いじぶん、そしていまのじぶん。
三つ子の魂百までも。 昔の人はすごいな!って思います。
成長する過程で、後付けの意識がほんとうのじぶんにブラインドをかけてしまい、それにも気づかず、ずっとその役を演じていることがあります。
そして、その適役ではない無理が、からだにいろいろなストレスをかけます。
そんなこころとからだのつながりの話しを次回から書いてみようと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。